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いいこと探検家の人生冒険ポジティブ日記

いいこと探検家の人生冒険ポジティブ日記

日本の地域社会ビジョン1



■日本の地域社会ビジョン1



老若男女、人口のバランスが上手くとれています。

少子化政策が功を奏し、子供の姿日本の環境ビジョンがたくさん見えます。

子供の笑い声が至るところから聞こえます。

みんなで声を合わせて歌っています。

いつもまるでお祭りのようです。



どの子供も泥んこ遊びで、顔が真っ黒です。

遊び道具は自分たちで創ります。

建築で余った木の切れ端などで、ユニークなものを創ります。

まるで芸術品です。

捨てられる運命にあった物が、大切にしておく物に変身します。

だから、ゴミになる物はありません。

というよりは、ゴミという言葉自体がないのです。



家族のコミュニケーションは最高です。

一家団らんが大原則です。

仕事をしていても、食事の時間にはみんな帰ってきます。

たくさんで食べる方が楽しいので、とくに夕食は誘い合って
誰かの家に集まります。みんな自家製の料理を持ち寄ります。


子供はみんな、おじいちゃん・おばあちゃんが大好きです。


「尊敬する人は?」と聞くと、たいてい

「おじいちゃん!」

「おばあちゃん!」

と答えます。

何でも知っているし、昔の楽しいおとぎ話を聞かせてくれる
からです。

おじいちゃんとおばあちゃんは、世の中に役立っているという
実感があるので、みんなイキイキしています。


いつも、おじいちゃん・おばあちゃんのまわりに人垣ができて
います。


こうして、ずっと素晴らしい知恵が伝承されるのです。



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◎thanks115さんのビジョン



家族や地域のつながりが、見直されました。

21世紀初頭、人は地方から中央へどんどん集まり、地方では
過疎化が進んでしまいました。

ところが、都心の人口密度が高くなっているという事態の中、
大きな被害を出すような災害が発生してしまいました。
(ニューオリンズのように48万人が1ヶ月以上、非難生活を余儀
なくされる事態が起こってしまったのです)

そのため、都心に集中していた、人口と機能は、分散され強固な
ネットワークで結ばれるようになりました。
それに合わせて、人も都心から地方へと流れるようになりました。

都心で働いていた人達は、その職をネットワークの中に移し、
地方に身を移したとしても、その人が持つ知恵や能力を存分に
発揮できるようになります。

この世界では、お金を稼ぐという事よりも、地球と共にいると
いう事を強く考え、実行することが、当たり前になっています。

そして、核家族世帯は少なくなり、2世代、3世代、4世代が近く
に集うようになっています。
こんな家族では、みんなが、無意識の助け合いを行い、おじい
ちゃんやおばあちゃんが、最もその強い意志で家族の支えと
なっています。

そして、それまで過疎化に苦しんでいた自治体も、子供たちの
明るい笑い顔で溢れ、その地方自体が特徴をもち、魅力に溢れた
ものとなっています。

若者達は、地方に住まい続けることも認められますが、その見聞
を広めることが推奨され、他の地方や外国へ移り住むことが、
当たり前になります。

そして、その地での技術や文化、教養といったものを身につけ、
親交を増やし、心身共に鍛錬され、幕末の志士達のように、
新しい地球環境を創り、育てる志士として着実に育っていって
います。



◎スマイルさんのビジョン



2100年、日本のある1日。

朝、日の出とともに人々が公園や神社やお寺などに集って
きます。
子ども、おとな、お年より、いろんな年齢層の人がいます。
散歩をしている人、体操をしている人、おしゃべりをして
いる人・・・
あちらこちらで「おはよう」というあいさつが聞こえます。
みな、自然と親しみながら、朝の空気を楽しんでいます。

朝食は皆が集います。
自宅に家庭菜園を持っている家も増え、
その収穫物が食卓にのることもあります。
今日の予定を中心に話しながら
家族の意思の疎通を図ることができます。


登校、出勤の時間になりました。
職住近接があたり前になったので、
通勤ラッシュなどはありません。
みんな徒歩か自転車ででかけます。

午前中、家を守っている人々は掃除や洗濯をしています。
大気汚染や有害紫外線の害がかなり軽減されたので、
洗濯物を室内に干さなければならない理由はなくなり
晴れた日はみんな太陽の恵みをいっぱいに浴びながら
洗濯を楽しんでいます。

地域清掃に参加している人もいます。
会社を退職したお年寄りなどが中心です。
土・日になると、
こどもや会社勤めの人も加わります。

曇りや雨の日は家のお掃除日和です。
洗剤をなるべくつかわずに
水拭き、掃き掃除など、心をこめて行います。

自然とともに生活する、
そんなライフスタイルが定着しています。

お昼、学校や職場から家族が帰ってきます。
お昼休みはたっぷり2時間。
昼食作りを家族みんなでしたり、昼寝を楽しんだり、
趣味に興じたり・・・
学校や仕事の合間にこうして自分に戻れる時間があるので
ストレスもほとんど解消され、みんな心身ともに健康です。

そうそう、労働時間も4~6時間くらいになっていて
その分雇用が増え、
働きたくても働けない失業者はいなくなりました。
一人一人の収入は以前に比べれば減ったかも知れませんが
心豊かに生活するには十分な収入があります。

夕方、夕食の準備の時間です。
買い物は近所の商店街が中心です。
職住近接、残業もほとんどなくなったため、
家にも速く帰って来れて、家族で買い物に行く光景も
めずらしくありません。
商店街ではお店の方との会話もはずみます。

夕食には、またまた家族みんなが集います。
何回集っても話すことは次から次へとあるのです。
楽しい食卓です。

夜はこどもは9時には就寝
おとなも11時までには床に入ります。
テレビの深夜放送もありません。
省エネになりそうです。

人として当たり前の生活をしている。
それが2100年です。



◎ichideさんのビジョン



はじめまして。いきなり長文ですが、ぶっつけで書いてみました。

2100年間であたりを目処に、自分の地元である瀬戸内の提案をはじめ、
世界の傾向を書いてみます。
技術は現在実験中のものを出来ると仮定します、または既にある技術
を使い込んでいるとします。私にとって100年といのはものすごく短く、
感覚的にはあっという間にきてしまうものです。

******
21世紀半ばごろ、
日本は各地域に中核都市を取り戻す動きをはじめます。それは江戸
時代以来のことです。
有機食材から薬草を取り出し自然なバランスで普通にアンチ
エイジングができるようになっています。
筋肉や神経と融合できるサイバー技術も状態化し、事故や病気でも
身体補助が不自由でなくなりました。
高齢出産も安全に出来るようになって、バブル世代が80、90代の
高齢化しても、子供が育てられるようになりました。

彼らはインターネットが状態化し始めた世代であり、悪い環境、
よい環境の両面とバブル期の上質な文化と不景気のどん底を経験
しているので、シニア市場に革命をおこしました。
高齢化しても健常でよい教育をできるのです。
男女の立場、年齢による蔑視もなくなり、どの世代でも子供を育てる
事が可能になって、子育ての自由が定着します。
また英語教育も常識になったので、海外の学校から最高の教育を
普通に得る事が出来るようになり、最高の学識者はどこの町からでも
普通にでてきて、ベンチャーは常識となり、産業が復旧しました。

結果、適正な人口バランスが可能になりました。

そのおかげで、地方も税収が安定徴収できるようになり、
予算の帳尻合せのムリな開発が大幅に減りました。

2030年、土木事業者はコンクリート鉄筋による工事を50%以下にする
のがついに条例で決められたので、
代わりに、酵素技術を応用して、地場菌を活性化させ、汚染土壌や
水質を次々生きた生命力のある風土に変えていく事業が一般化して
いました。この技術は1990年に実証済みで、2005年に沖縄、鹿児島、
沼田、岩手、岡山、千葉、山口で循環型風土つくりのサンプル収集
が始まっています。全国で始まったのは2008年からです。(原発が
完全中止になった年)

これが結実して、2000年代にコンクリート業界が護岸や山林をダム
や防波堤で埋めていたことにかわり、
自然土壌のままで植物の根と土の団硫化によって、
風土は防災機能と食糧自給率を2050年で、100%近くまで回復して
いました。たまに娯楽として海外の食料が消費されています。
一部は農業と畜産の栽培地になり、それは株式会社化され、
都市の人でも自由に好きな場所の収獲を楽しめるようになりました。
2010年にユビキタスとICチップが普通に全国で普及したので
地方格差と農林水産業の過酷な労働がなくなったのです。
2015年にはだれでも趣味半分に農林水産をやったり、商売するのが、
一般化しました。
はやりは目の前で美味しい作物や魚が食べれる森林と融合した保養地
です。手ごろな瀬戸内海の離島はブームの渦中にあり、過疎化地域は
希少になりました。

昨今の入札工事は数少ない汚染工場跡地の森林化、風致景観型が条例
で決められた農業工場であり、これは既に過当競争になっています。
残り少ない事業になっているので、地元の中小企業だけで対処して
います。

もっとも難解な課題は核廃棄物の後始末=完全循環化と運転停止した
原発の後始末でした。
半減期を加味しながらの時間が掛かっていました。
原発は2008年で終止符を告げてました。
住民の反対派が国内外の環境派の協力を得て、裁判で勝訴。
2030年には事実上国は全ての原発を中止し、変わる自然エネルギー
自給に本格的に取り組まざるを得なくなりました。
当時まだ火力発電はLNGやバイオマスに代行したのが普通になって
いて、CO2排出は極度にすくなくなっていましたが、それももったい
ないという話があちこちで2035年あたりから出始めていました。
家庭の自家発電は普及率が40%を超えたころから、
公共場所のみの需要に落ちてきて、電気会社は経営が厳しくなり、
経営改善のために太陽熱発電という新エネルギーの実用化段階に
入っていました。
その後、2080年でやっと火力発電は、太陽熱発電(再資源化プラント)
にとって代わり、それも大規模すぎるので、
2095年には家庭用もできるようになります。電気会社(再資源化会社)
はプロバイダーのように、発電/再資源化サポートを家庭用に格安で
提供するようになります。

原子力の後始末には膨大な時間とコストダウンの研究に長年かかり、
推進者はその責任をとらざるを得ない状態でした。
放射能を分解する技術の開発には2090年までかかっており、2095年
からやっと原発の後始末の工事が入札が始まります。
原発跡地は歴史教訓として悲しい労働環境が二度と起こらぬように
銅山やアウシュビッツのうように保存されるかどうかが議論対象に
なっていました。
2003年以降、コンクリートは完全に再資源化できる技術が完成し、
2075年に放射能付きのものも地中埋設せずに敷地内のみで処理する
方法が完成しあとは許可をおろすだけでした。残すかどうかは教育
文化的な意味しかなくなっていました。

2010年あたりから化石資源から循環資源へ生活商品がいれかわって
きて、木材文化ルネサンスがおきていたので、以降、木造/天然素材
技術が高度化し、2060年あたりになると林業も木材を余らせるように
なってきています。どこで、どう、木材を使うかがテーマです。
背景には、エンジニアリングウッドが普及したので、
植物由来でプラスチックのような透明なものや、鮮やかな色彩も
可能になっていました。
廃棄後は分解樹液に浸すとそのまま木材粉末に戻ります。
そのようにして、適当に廃材化していくことで、循環のバランスが
保たれるようになりました。
町中では時間の余裕のある人たちが町内会の趣味の集まりで道路や
ビルの屋上に造園や田畑をやっていて、造園のついでに暖炉で
温まったり、有機無農薬小麦でねって薪で焼いたパンと町内会の
趣味で育て自家焙煎した有機コーヒーを楽しんでいました。

ゴミになる時は全て堆肥化を高速度ですすめるので、ゴミの
埋め立ては2050年には完全になくなりました。
金属やガラスに代わるもののも随時開発され、産業変換がおき、
ますますゴミの量は減り、代わりに護岸にはどんどん、緑化がすすみ
ました。
2005年あたりから、ずいじ、発明が進んだのは繊維関係。体温で
発電したり汗で発熱したり、涼しくなる繊維製品がその後50年間
の間に常識化し、乾燥の速いしわにならない繊維ができアイロンも
乾燥機もなくなります。
洗濯も洗剤を使う意味がなくなりました。汚れと匂いをとる酵素処理
が洗濯機に埋め込まれたのは2010年ころです。
洗剤メーカーは業務転換して家電メーカーか食品メーカに吸収合併
され、アンチエイジング効果と癒し効果のある日用化粧品と
メンタルヘルス商品を売るようになります。
東京ではかつては死の灰を浴びた第5福竜丸が棄ててあった、夢の島
や若洲尾深部汚染土壌中の廃棄物すらも分解する技術が2030年に
実証できたので、掘り起こして奪い合うように全部資源にして
しまいました。
そのような結果、東京湾は2065年、ついに江戸前握りが新橋で庶民
の料理として復活し、隅田川や神田川の支流では鮎を釣るのが趣味
になりつつありました。
2067年、鶴の群生が多摩川に舞い降りるようになっていましたので、
多摩川沿いはすっかり新しい保養地となりました。

広島湾の牡蠣は汚染が完全になくなって太りずらくなったので、
代わりに水産加工の食品残渣を堆肥化させたものを蒔いて漁礁を
作りながら給餌する手法(2003年からできているもの)を2010年より
実用登録していたので、50年後老舗になっていました。
2055年には厳島神社の境内=海は透明度が完全回復し透明な舟で鳥居
の下をくぐりながら魚を見るのがブームに。
そのような平安時代さながらの雅な世界が実現したのは、地元の文化
保全団体が環境技術者と提携する事が普通になったからです。
厳島は全体で鎮守の森が完結し、
理想的なグリーン&ブルーツーリズム拠点となり、風致規制と景観法
が宮島口駅前まで殆ど網羅していました。競艇場はソーラーボート
レース場に変わっていました。
大阪ははるかに遅れをとって、道頓堀が完全にきれいになるのには、
2075年までかかりました。看板は文化遺産となり、長寿命型有機ELと
LEDと曲面液晶に代わり、盤面も発電するようになって、看板は発電所
となっていました
琵琶湖から始まる淀川が、京都を経て大阪の河口域まで、すべて
親水公園をもつ緑化護岸になるのは2060年以降。
2080年ごろ大阪湾と関西空港の周りはマングローブのような汽水域
の森林が出現するようになってきて、スナメリを見るのが飛行機の
フライと待ちのプレジャーです。
天保山も昔のように山が復活し、アウトドアプレジャータウンが
2080年あたりから実現します。

そのような地道な活動を続けて実績を評価され、瀬戸内海は、2088年
ようやく世界遺産として登録されます。

2090年代日本全土が港湾を除いてすべて松林や自生の魚付保安林と
なった結果、1800年代の固体数まで回復します。
レッドデータブックに載っていた生物は、保護動物を無くす事を
目差すようになります。
日常食卓には施設栽培化した農業、畜産、栽培漁業によって収獲を
完全コントロールしたものが食卓用となり、
海洋や山林は多様性と教育娯楽を目的とした手付かずな原生自然と
なります。
2060年ごろ日本からダムが消えはじめ、森林の保水力が回復し、
また、2080年には各家庭や事業所で雨水利用が常識化完全普及した
ので、十二分に天然水が飲めるようになったのは、2095年です。
そのように、風土と、食料供給と、医療が安定したので、
安心して子供を育てられるようになっています。


2030年代、北朝鮮と韓国が統一し国際社会に溶け込んで、アジアの
対策は、後は過疎地もんだいと中国都市部の環境破壊だけになって
いましたので、日本で防衛線をはっていたかわりに海外の環境改善
されるべく、学生アルバイトがアジア全域を中心に世界各地へ
出かけるようになっています。
アルバイトたちは、世界各地の風土や文化を学びながら風土改善の
手伝いをし、特産物を土産にもって帰る時代になっています。

拍車をかけた理由は、2055年ごろからスターリングエンジンと水を
燃やす技術の融合により、舟はついに燃料費0となったため、
安くて速くて、海を楽しめる舟が流行り、朝鮮半島や中国やロシア
は格安ツアーが可能になったからです。
ツアーといってもモバイル機器でどこでも仕事や学修ができるので、
海外は風土固有の文化を学ぶよいチャンスとなりました。

少子高齢化で空洞化が進んでいた地域には学校を穏やかな教育方針
で自立思考ができる子供を育てる為に、自然をどうやったら、より
効率的に利用できるかが、小学校の課題で出されます。

それは、20世紀におきていた公害事件100年近く経ち、忘れられ
かけており、戦争はおろか原爆も原発も過去に封印されかけて
いましたので、同じ事をあえてバーチャルシュミレーション学習
する為のものです。

環境保全はもはや、緑園都市化と平行して楽しむ時代になり、実際
ビジネスの最先端として既に定着しており、またゲームでパズルを
埋めるがごとく、砂漠を緑化し、庭園都市化するのが、流行の投資
ゲームです。
こどもでも充分に参加できるので、
小遣いを緑の穴埋めゲームに使うようになり、緑地の領主ごっこを
するのが、2030年~2080年超ロングセラーゲーム商品に。
世界の隅々で自動的に植林、緑化、食糧自給、保養都市がゲーム
感覚でされるようになり、2090年代にはいって、
ようやく温暖化危機が解除されました。最後の京都会議がなされた
のは2093年でした。

2080年頃から都市の高層化ブームは建築技術の究極にたどり着いて
ついに世界の各地で終焉します。
建築家も投資家も高さや密度や物流のバランスにようやく気がつき、
1000M級の高層ビル建設に不動産価値がない事に気がつきはじめ、
1000M高層ビルはもはや遺跡的なものでしかなくなりました。
実用レベルの都市は緑地や生産地と融合しはじめて、砂漠や寒冷地
も自然と調和しつつ、緑化を邁進しつつ居住可能になって高層ビル
も100m程度しかない庭園型ビル群と低層の別荘風住宅で職住構成
される分散型都市が世界中にできるようになります。
ブリザードや砂嵐など、過酷な風土の特徴はそのまま新種の
アウトドアスポーツとなります。

2098年には
どこに住んでも殆ど不便な思いをしなくて住むほど、ユビキタス化
が浸透しました。住所の差が地球全土で殆どなくなり、個人の好み
で固有の風土景観の場所に居住するようになったので、
通勤や集合住宅は意味をなさなくなっています。
家族の枠組みが自由になり、世界中どこの町も外国人が30%くらい
はいるようになり、毎週文化交流会が起きています。



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